私は15歳から美術を本格的に勉強しています。現在31歳です。
基礎的な勉強から、自分の概念を作りあげるまで、それは生涯にわたる長い旅だと覚悟しておりますが、
たくさんの方に見ていただき、ジャッジされる世界に身を置き始めて以来、
いつのまにか、芸術、芸術家というものは孤高の存在である「べき」だという思考が私の中でのさばっていました。
世の中に位置されている「芸術」という価値を本来、自分自身でも理解しようともせず、
いわゆる一般的な教育の中で、無意識に洗脳的に制限された思想は、私の中でのエゴイズムを増長させ、
元来、芸術表現の源となる「愛」を忘れ、いつしか作品自体にもその概念が浸透し、
私は枯渇した表現方法に迷走し、思い悩み、逃避し、いつしか外の世界や人間とばかり比較し、
人を責め、都合がいい時は人のせいにし、
人を責め、都合がいい時は人のせいにし、
自分自身が認められることにだけに執着し、製作を続けていた時期もありました。
勿論、その時の世間の評価は散々で、鏡のように私の中の醜さを映し出し、悶々とさせました。
より一層、負のループをぐるぐる巡回し続けるしかありませんでした。
表現的にも精神的にも、最終的な限界を感じていた時に、奇しくも2011年3月11日、東北大震災が起こりました。
私自身、東京で強い揺れを体感しましたが、テレビに映った景色は、私の想像を絶する東北地方の光景を目にし、私は号泣いたしました。
その時に、今までの心に溜まっていた膿のようなものが自分自身の外へ、どろどろと流れ出ていく感覚がありました。
私の愚かでネガティブなエゴイズムの全てが流れ出ていくような、本来の愛の尊さに気づくような、大いなる母の愛を思い出すような、
はっきりとした的確な言葉では伝えられないですが、不謹慎ながら、すっきり生まれ変わったような気がしたのです。
私は、その時の貯金全額を寄付し、東北に被災者のボランティアへ出向きました。
今まで描いてきた作品をチャリティでインターネットで販売し、全額を募金させていただきました。
近くの神社に毎日お祈りを捧げ、何の力になるのかはわからなくても、直感を信じて、流れるままで行動を起こしました。
その時に製作していた120号キャンパスの作品「母」は、何度チャレンジしても落選していた、
トーキョーワンダーウォール展に初入選することができました。
当時、出展することも悩み、出展後も当落結果を忘れる程、奔走していた私
(それまでの私は当落通知のハガキを今か今かと毎日郵便ポストを眺めるほど、入賞することに執着していたのです)にとって、
アワードの本来の意味の持ち方の変化も感じることができました。
いろんなご縁で秋に岩手の花巻での展示、公開製作の機会をいただき、その際での車の移動で福島へも立ち寄り、
様々な方からのお話を伺う事もできました。
岩手での展示は、町おこしのアートイベントで、私の展示場所はガレージの中でした。
隣の民家のおじいさんおばあさんが、「困ったことがあったら何でも言ってくれ」と言ってくださいました。
公開製作をする日、おじいさんもおばあさんも高いところに昇るための椅子を貸していただいたり、金槌やらほうきやらお茶やら、ありとあらゆるサポートをしていただきました。一日製作が終わり、5メートル×5メートル程の作品を作り上げることができました。
すると、おじいさんとおばあさんが私の作品を見て、目を閉じ、手を合わせ、拝んでいらしゃったのです。私は胸が熱くなりました。
おじいさんに意を決して聞きました。「こんな大変な震災があったあとに、正直絵を見る事は必要だと思いますか?」
おじいさんは言いました。「あなたの絵の中にたくさんの命があります、だから感謝をしてるんです。ありがとうございます」
精一杯、涙をこらえ私は言いました。「おじいちゃん、俺、この絵をおじいちゃんにあげます、もらってください」
おじいさんは笑いながら話してくれました。
「そんな、画家様の絵なんざ、私はいただけない。私どもは絵を買うなんか、この生涯ではできないよ、お金がない。
いただくなど、そんなに怖いことはない」。
私はおじいさんの深い愛を心の底から感じました。何とも形容し難い気持ちになりました。
私は思いました。画家は、芸術家は、そんなに偉いのか。何が偉いと思わせているのか。
ひとつの偶像に想いを重ね、その絵に投影できる、閲覧者にこそ価値があるのではないか。
作る側の人間と見る側の人間の気持ちがシンクロしている時にこそ、価値があるのではないか。そう感じました。
世の中の物差しで計ってみると、私は、全くの無名です。
無名と有名の差と、価値の有無は、全く関係のないことです。
しかし、世間の人々は、メディアの操作によって、本来、理解不能な(逆に理解されるべきである)作品でも、
名声があったり、破格の金額で売買されている作品を、一定の側面の判断で報道し、価値があると思い込まされている傾向があります。
(全ての人々がそうであるとは限りません、勿論、先駆者たちの作品は私自身、多大なる尊敬の念をいだいております、そしてメディアに対する中傷ではありません、影響力の強いものに洗脳され、踊らされる世間の人々のマジョリティへの見解です)。
芸術というものは、見る人それぞれの価値観、イメージで見ることが許されている素晴らしさ故に、孕んでいるイメージの
押しつけ、植え付けが強いというのもひとつの事実だと思います。
時代が不況や個人の尊重が叫ばれている状況で、一部の人間が築きあげた芸術の付加価値の偶像を、
孤高の存在である「べき」という概念を、僕は、僕自身の中で、許可しないことを認める決意をしました。
世の中を変えることはできなくても、自分自身の価値観を変化させることはできる。
世の中の相場や当たり前とされている常識ではなく、自分が納得するやり方で、自分の表現を続けていこう。
そう強く思いました。
おじいさんにその後に聞いた「いくらなら絵を買うか」という質問の答えも私にヒントをくれました。
おじいさんは「ただでもらうのには失礼があるし、人様からいただくには必ずお金が交換条件だ。それでこそ私にも価値を見いだせる。
5000円でなら、今の私でも買える。」
おじいさんがふと提示した、「5000円」の価値にはとてつもない深い宇宙を感じました。
私にとって大きな意味と、ひとつの目安となりました。
そして私にとって微動だにしなかった不要なプライドが面白いように崩壊していきました。
湧き出る直感に、私は従おうと決意しました。誰に何を言われてもいい。
私はすぐ、5000円で、インターネットで原画の販売ができるタグボートにて紙作品の販売を始めました。
「安すぎる」「価値が出るまで待ったほうがいい」「そんな安売りする画家はいない」「目先の金が欲しいだけなのか」
いろいろな世間の常識と比較したメッセージもいただきました。
構いません。私には信念があります。
私が描いた絵と、それをシェアしたいと思っていただけた方との間には、
もう既に、お金では計り知れない価値が生まれていることを私は知っているのです。
私たちは共に、絵の中にある「心の宇宙」に旅立つことができるのです。
その後、統計があることさえも知りませんでしたが、先日のタグボートでの初集計で、販売数ランキングで2位をいただきました。
ランキングは単なる数値であり、目安でしかないので、それ以上も以下もありませんが、
私の信念を理解していただける人がいるのだと、強い自信に繋がりました。
そして世の中で言われる「結果」というものは、「プロセス」と比較する対象ではないことも肌で実感できました。
真実は、結果ではない。結果を維持する意識を始めた時点で全ては崩壊していきます。
私にこびりついていた「執着」がこのような形で壊れていく瞬間を目の当たりにし、何だか可笑しかったです。
今の私は結果など、どうでもいい。
時代は移り変わっていきます。
もしも世の中の「付加価値」とやらが私の作品についてくるのなら、共に喜びましょう。それは私だけのものではありません。
明日のことは誰にもわかりません。待っていても仕方がないのです。
私たちは、既に、「今」を感じる喜びを知っているのです。
時代に翻弄されるのではなく、自分達が時代を作っていく。
芸術は孤高の存在である「べき」ではない。
断片的な「今」というかけがえのない日常に、そっと寄り添うあたたかいもの。
そう私は信じています。これからも芸術という世界を信じて、生きていく覚悟です。
私は美術を通し、生涯、愛を奉仕していくつもりです。その想いには、勝手ながら使命さえ感じています。
愛をもって、描きます。
双方の幸せを思慮し、思いやり、お互いの更なる幸せに繋げていきたい。
愛は必ず連鎖していく。
想いをキャッチしていただける方に、心より、感謝申し上げます。私は奇跡と感じています。
奇跡は、自分のアクションと直感で、実は毎日感じれるものだと思っています。
生きている、生かされていることは奇跡です。
そして、とてつもなく自由なのです。
田代敏朗
